【インド】6日目 3/11の祈り
バラナシ初日の朝はとても早かった。ガンガーの朝陽を見るためだ。
日の出前からガートには沐浴をする現地の人が集まっている。
ガンジス河の朝陽は美しい。
生と死の町、バラナシ。
狭い路地では、牛と牛が道をふさぎ、その間を死体を運ぶ人たちが鐘を鳴らしながら通って行く。火葬場には24時間、休むことなく煙が上がる。そのすぐ下の河では人々が体を洗っている。
体調のせいもあってか、私はこの町に音をあげていた。帰りたいとさえ思った。この街を受け入れる器がなかったと言われればそれまでだ。
確かに日本ではおよそ見ることのできない世界がそこに広がっている。
理解が及ばない世界だった。
インドに来る日本人旅行者は(自分を含め)だいたい変わっている。
この町を好きにならない日本人に、私はこの旅で出会うことがなかった。
3/11、東日本大震災からちょうど1年。その日を私は、たまたま、この町で迎えた。
その日の夜、バラナシのガンジス川沿いでは、日本への追悼式が行われるという。
ゲストハウスの友達とガートに着くと、その人の多さに言葉を失った。
何千人もの人が、日本のために。
これがニュースになることはなかったし、インターネットで検索してもでてこない。
祈りは、僕がこの場所に、偶然居合わせなければ、知る由もなかった。
日本人全員で「ふるさと」を合唱した後に、礼拝が行われる。
この日も、ガンガーは、いつもと同じ無表情で、流れ続けていた。