【インド】8日目 生と死
MEGU CAFEで朝食を食べると、コルカタへ向けて荷造りを始めた。思えばこの町では日本食しか食べていない。
着いた日のことを思うと、体調もだいぶ良くなり、インドの薬のお陰で風邪をぶりかえすこともなかった。最後までこの街の印象を変えることはできなかったが、不思議とこの町に名残惜しい気持ちも少しあった。
一度は乗っておこうと思い、ガートでボートを探すと、そんな時に限って客引きがいない。
リキシャーにしても、タクシーにしてもいつもそうだ。乗りたい時には寄ってこない。
乗り気でないドライバーに、ボートを出してもらった。
本当に不思議な町だ。
ネパールで知り合った日本人に「君にはバラナシを受け入れる器がなかった。」と言われたときは、むっとしたが、反面、その言葉を待っていましたと、自分の中で納得した。
果たして、バラナシを受け入れるとはどういうことだろうか?僕がこの町に何かを求めていたのは事実だ。インドで一番楽しみにしていたといっても良い。
目の前で、人が焼かれ、ありとあらゆる物が河にかえっていく。それを自分の目で見た時、自分は何を思うのだろうか。
楽しみにしていたという表現は適切でないかもしれないが、なにか期待をしていた。
ジャイプールの町で、車が何台も通り過ぎる大通りの脇に、ひとりの男性が倒れているのを見た。
頭にはハエがたかっていて、それでも、周りを行くインド人が足を止めることはなく、誰も気に止めない様子だった。
彼がただ道路でうつ伏せて寝ていたのか、それとも生きてはいなかったのか、わからない。
ただ、その光景がショッキングで、しっかりと見ることが出来なかった。だから、彼が死んでいたのかどうか、いまだにわからない。
バラナシで見る死は、ジャイプールのそれよりも、あきらかに、密接に、生とつながっていた。
彼が生きていたとしても、彼はもう、死んでいた。
でもバラナシは違う。
布のあいだから足や髪をはみ出しながら、ガンジス河へと運ばれるのは、たしかに死体ではなく人であった。
私がインドに旅立つ前に、何か期待し、何度も頭で思い浮かべていた、目の前で人が焼かれる様子。
実際にそれを見て、何を思ったのか?
正直にいうと、私は、何も感じなかった。
ショックでもなかったし、何かを思うこともない。ただ、呆然と目の前で人が焼かれるのを見るだけだ。
理由はわからなかった。
色々と考えさせられたのは、日本に戻ってからのことだ。
普段、私たちが意識していないだけで、生と死はいつだって隣り合わせである。それは日本人もインド人も、みんな変わらない。バラナシは単に、それを思い出させてくれたのだろうか。もしかすると、あの時、私には生と死の区別がつかなくなっていたのかも知れない。
どうりで、何も感じないわけだ。
ある老婆が、ガンジスに浸けられた時の話。
色とりどりの色粉が河に見えた。
彼女は、つい2,3日前まで生きていた。
なにごともなかったかのように、薪が積み重ねられ、火がつけられる。
焼けた彼女の灰は、再びガンジスへと流される。
それは、バラナシの日常であり、バラナシの一部であった。
その日の夕刻、ガンジスに別れを告げて、バラナシを南に、コルカタへと向かった。