日本・世界の遺産絶景~旅と写真のブログ~

【ホーチミン】クチトンネルと、ベトナム戦争の40年後

 クチトンネル

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 クチトンネルは、南ベトナム解放民族戦線によって作られた地下ネットワーク。

 その長さはなんと全長200キロにも及ぶ。 ホーチミンからバスでおよそ1時間のところに、その一部を見ることが出来る観光地がある。

 

 

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 クチトンネルには無数のトラップが張り巡らされていて、それぞれに独自の工夫が施されている。 

 これは地下道の入り口、実際に中に入ることも出来る

 中に入ると上からふたを閉めてくれて、ごらんの通り。外からはまったく分からない。

 

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 この穴は、観光地にする際広げられたそうで、実際にはもっと狭かったらしい。

 ガイドは、「ハンバーガーばかり食べているアメリカ人が入ってこれない狭さ」と話していた。

 そういえば、ベトナムでは他の観光地に比べてアメリカ人と会うことが少なかったように思う。たしかに話しを聞いていると、アメリカ人なら頭にきそうな話が天盛りであった。

 

 

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 トラップの一種。つなぎ目があるため、上の部分をとめても、下の槍がささる。地雷のように命まではとらず、肉体的、精神的なダメージを与えるもの。

 

 

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 スーベニアトラップ

 

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 落とし穴。古典的なトラップこそ、効果は大きい。

 

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 クチトンネルの中は、一部実際に通ることが出来る。

 ここも、観光客用に広げられているということだが、写真の地点ですら、かなり広い方。場所によって、四つん這いでは通れないような狭いところもある。

 加えて、中は酸素が薄く、とにかく暑い。我々からすればここの中で何ヶ月も生活するなど到底考えられないのであるが、こういったベトコンの抵抗をみると、いかにベトナム戦争が悲惨であったのかがよく分かる。

  

 

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 銃を撃つこともできる。やや割高。

 

 

 戦争証跡博物館

 

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 クチトンネルから戻ったバスは、戦争証跡博物館の前でとまる。

 クチトンネルはどちらかというと、アメリカ兵がいかに悲惨な状況で戦っていたか、ベトナムがいかにしてアメリカをやっつけたのか、という資料が多かった。

 一方この博物館には、戦争によって傷ついたベトナムの姿を表す資料が多い。

 展示されているものの中には、思わず目を背けたくなるようなものも多かったが、ベトナム戦争を学ぶという意味で、必ず行くべき場所だろう。

 

 

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 石川文洋さんら日本人ジャーナリストのコーナーもある。出発前に読んだ「ベトナム 戦争と平和」は、帰ってから読むとまた異なる印象を受けた。

 

 

 ベトナム戦争とアメリカ

 

 ベトナム戦争を扱った映画はかなり数が多い。

 僕が実際に見たものだけでも、「地獄の黙示録」、「ランボー」、「グッドモーニングベトナム」、「フォレストガンプ」、「フルメタルジャケット」などが挙げられる。

 それらすべての作品に共通して、疲労し尽くしたアメリカ人の姿が描かれている。

 

 アメリカという超大国が、延べ800万人以上もの兵士を導入したにもかかわらず、小国ベトナムに勝つことが出来なかったという屈辱。それは後のアメリカに、深い精神的なダメージを与えたのだ。加えて、「ランボー」に描かれているような、戦争を実際に経験したアメリカ人帰還兵の精神的ダメージ。クチトンネルを訪れると、身にしみて理解が及ぶ。

 

 

 ベトナム戦争の死者は、民間のベトナム人が200万人、解放軍兵士が110万人。これに対して政府軍兵士は22万人、アメリカ兵は5万8千人という。

 戦争で傷ついたのは決してアメリカ人だけではない。当然ながらそれ以上のダメージを、ベトナムは負っている。

 特に枯れ葉剤(Agent Orange)による被害は計り知れない。現代生まれてくる子どもたちは、すでにベトナム戦争後3代目にあたる。ところが、40年近くたったいまでも、なお子どもたちには枯れ葉剤の影響が及んでいるという。

 これだけの被害を出しておきながら、その責任は誰もとらなかった。

 

 

 僕はベトナム戦争を知らない世代であるから、当時世界が、そして日本が、この戦争をどのように捉えていたのかは分からない。それでも、おおよその想像は出来る。

 きっと、シリア内戦がそうであるように、海を越えた向こうの戦争には多くの人が無関心でいたんだろう。